はっしゅろぐ

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劇場版「夜は短し歩けよ乙女」を見た話

森見登美彦夜は短し歩けよ乙女』を読んだのは大学2年生のころだったように思う。『四畳半神話体系』も合わせて読んだと思う。森見によるこれらの作品群は、「京都での学生生活」なるものへの憧れを掻き立てた。当時の僕は、ちょうど恋心を拗らせた時期でもあったので、自分を「先輩」なり「私」なりに投影させ、一乗寺あたりでラーメンを貪り、木屋町やら四条やらで酒を飲み、時には黒髪の乙女と進々堂で珈琲をしばく生活を送ることを夢想していた。結局のところは恋心を拗らせつつ、新宿や高田馬場でラーメンをすすり、上野や池袋で朝まで飲むという生活をしていたわけで、黒髪の乙女の不在を除けばほとんど実現していたわけだが。

それから数年が経ち、僕は就職して関西まで飛ばされてきた。関西出身の友人も増え、どうやら森見の描く学生生活は実在しないものであるらしいことも分かってきた。恋人もできたり別れたりもしていて、物語の中の「先輩」や「私」と自分を重ね合わせるのも段々と難しくなった。とはいうものの、どこかでこれらの物語に描かれる「森見ワールド」とでも呼ぶべき学生生活に対する憧憬は持ち続けており、願わくばそんな生活を送れないだろうか、と日々思い続けてきた。*1そんなわけだから、『夜は短し歩けよ乙女』が映画化されるという話を聞いていてもたってもいられなくなり、友人を誘って劇場へ赴くこととした。

観た感想としては、果たして良作だったように思う。90分という短い尺に様々な要素が詰め込まれておりかなりスピーディーな展開だったが、破綻することなくまとまっており、原作を読んでいない人でも楽しめるだろうと思う。原作にある以上に『四畳半神話大系』に出てくるモティーフが織り込まれている点も、楽しめる要素であろう。

本作は小説の劇場化ということもあってか、原作からの改変がいくらか加えられているが、最も大きな改変は、既に多くの指摘が Web 上でなされているように、四章構成となった原作において四季のそれぞれで一年間かけて起こる出来事(先輩の結婚式・納涼古本市・文化祭・風邪の流行)が、劇場版にあっては一晩の出来事として扱われていることである。ストーリー展開は、論理的に考えればどう考えたっておかしいのだが、そもそもファンタジーなのでそういうことは気にならないし、後で生きてくる設定は予め提示しておく(パンツ総番長の思い人の話や文化祭事務局長の女装趣味の話などは冒頭に提示されていたし、羽貫さんは夏パート(納涼古本市)の時点で風邪を引いていた)ことでストーリーとしてまとまりを維持していたのは、監督の手腕によるものだと思う。

思えばタイトルは「夜は短し歩けよ乙女」である。本作は、「先輩」の視点で見れば「黒髪の乙女との関係を縮めようにも勇気がなく外堀を埋めているばかりの先輩が、最後にご都合主義的ではあるが勇気を振り絞って距離を縮め結ばれる物語」であるが、「黒髪の乙女」の視点から見れば「一晩の間に何やらオモチロイことが山のように起こり、自身の興味の赴くままに行動していた黒髪の乙女が、周りからの示唆もあり先輩への恋心に気づく物語」ということができよう。本作のタイトルが大正期の流行歌「ゴンドラの唄」の一節「いのち短し恋せよ乙女」をもじっていることも踏まえると、短い(のか長いのかはよくわからないが)夜を思いのままに歩き回った「黒髪の乙女」が、最後に恋をしたというわけである。

「先輩」役として星野源が起用されたことについては賛否両論あるようだが、僕はあまり気にならなかった。そもそも星野源ってむっつりエロいことばかり考えているキャラじゃありませんでしたっけ。本当は下心丸出しで近づきたいのにそうできず外堀を埋めることに汲々としている「先輩」にはむしろぴったりな配役だと思った。

本作中で気になる点があるとすれば、秋パート(文化祭)をミュージカル仕立てにしたが故に、全体としてのスピード感がやや停滞してしまったことだろう。愛を語るシーンをきちんと歌にしているあたり「ラ・ラ・ランド」よりよっぽどしっかりとミュージカルになっていたわけであるが、いささか長すぎるように思った。劇中劇「偏屈王」のラストなど、「紀子さん」の告白でハッピーエンド、としてしまえばよかったのになあ。*2

ともあれ面白い映画だった。今住んでいる場所ではなかなか気軽に見に行けないのが残念だが*3、良い大型連休のスタートを切ることができたように思う。

*1:「いま18歳に戻って受験するなら京大だな」くらいのことはよく考えている

*2:新妻聖子の声や歌が長く聞ける点では良かったが

*3:梅田まで見に行った